ROAD TO THE COMPLETE MESSIAH OF THE WORLD・・・

世に生を得るは、事を成すにあり!

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仕事の本音。。

久しぶりの日記である。



入社してはや一ヶ月。

沖縄→静岡→配属・本社勤務、

ってな具合でGWを迎えた。




静岡では、

失敗の連続で同僚にもせかされることが多々あった。


お客様相手の、

無差別ダイブ・電話攻勢は自分の性格を考えると、

やはり心の中にわだかまりもあって、

動きが必然的に鈍いものになっていた。



販売の接客においても、

人生最大の買い物を販売する責任はやはり尋常ならざるものであって、

元々上がり症な俺をカチカチにさせていた。




そんな静岡での日々だったけど、

優しい人も多く、

初対面で20分以上話したのが10人以上いたし、

契約はとれなかったけど、アポイントは2件できたので、

泥臭い営業研修もよくよく考えれば、

必ず今後の糧になる、とは研修中から思っていたし、

そうなるに違いない、と今でも思っている。







静岡から帰ってきても、翌日から配属先を言い渡され、

即仕事に入った。


自分の希望通りの場所だったのでよかった。




本社勤務は、

営業とは雰囲気が全然違う。

本当にオフィス、ってな感じで体育会系な営業とは一線を画してるし、

一日200件の電話無差別爆撃が今の仕事だが、

相手が業者なのでこっちはためらいも無くできる。


見つけて採用されたら数億のモノを手に出来る。



一種の宝探しみたいなもんだw



知識が要るので、

勝負はこれからだけど、とりあえず営業よりはやりやすいのには間違いない。









11連勤をせっせとこなした後には、

待望の8連休。



K-フリの同期と飲んで、

それぞれの会社のエピソードをみなバーゲンセールのように言い合ったりした。


翌日は小学校のプチ同窓会。

先生も交えてだった。

もうすでに人生の修羅場を乗り越えちょる人もいたりと、

K-フリ以上にばらばらな方向へ進んでいる同士が会ったけれども、

それでも名物だった拍手スタイルがすぐに合ったり、

ためになる話も聞けたりと、

エキサイティングな飲み会だった。




あと、

四万温泉で休養したりと、

学生に戻ったような休日を過ごしている。







もうGWも、

明日を残すのみ。


仕事もこれからが本番だ。


失敗の連続にはなるが、

じゃんじゃん失敗しても良いから、

『風林火山』の如く進んで仕事を覚えていきたい。


怒濤の2週間

社会人になってからの日々の濃密度数は、

学生時代とは比べ物にならないものとなっている。



入社して、

いきなり沖縄研修。

そして、入社9日目には早くも静岡で販売営業。

研修ではなく、実践である。






沖縄では、

モンパチにも会ったし、

飛び込み営業でも沖縄の人たちの優しさに触れることができた。



静岡。

足にマメが4つ出来た。
とにかく歩き、走った。



ダイブ・ポスティング・販売接客・・・


たぶん合計40kmは、歩いたり走ったりしちょるだろう。


『そういうの興味ないです。』
『ウチは関係ないです。』
のフレーズには慣れた。
静岡市葵区南部の地理はだいぶ把握できるようになった。


接客。

商品の金額が桁違いのものである。

責任も重大。


まったくのド素人であった。
アガりまくった。
先輩は契約しそうな客の接待に忙殺され、
全くの単独でやるはめになった。
モデルルーム説明はてきとーだった。
ローン計算までやることになった。






ともかく、
歩くのすらままならず、
毎日が厳しいものではあるが、
それでも大手企業では経験できないようなことも、
経験できているんで、
充実してるのは間違いない、、



そんな静岡での日々である。



4月の下旬までは、

こういった仕事が続くものである。



※静岡のキーワード;

鈴与、桜えび、しずてつストア、北街道・南街道、おでん。




学生最後&社会人最初の日記

今日の午後をもって、

俺は正式に社会人となった。


まだ卒業式から3日しか経っていないだけに、

まるでその実感がない。



卒業も含め、

ここ1週間はいろんなことがあった。



その模様を以下ダイジェストバージョンで記していこうと思う。







《 台湾余談 》


ここでは、台湾における余談話を。



・ まず、台湾のレシートは全て宝くじであった。

これはかなりイカしちょる方法だなぁと正直感じた。




・ 台南では10分置きに上空を戦闘機が飛んでいた。
今も緊迫してる台湾海峡を実感したのであった。



・ 台湾はRソックス松坂大輔をやたらと気にしている。

士林夜市のストラックアウトゲームに、
『王建民VS松板大輔』
とあった。

しかも、
『松坂→松板』
となっとるところが……w




・ 台湾のNEWSは、
やたらとライトを浴びて、整形くせぇ美人女子アナが伝えている他にも、
とにかくテロップが派手で、
映像の中に平気で、吹き出しとか、プリクラで使うようなポップな文字を挿入しちょるとこが、少し笑えた。














《 俺を襲った相次ぐ災難 》


台湾から帰国した翌日曜日、
小学校の同期に会った。

すんげえ久しぶりなゆっき~とかもいて、当時の話で大盛りあがりだった。


特に1組のメンツを全員列挙できたときのハイテンションぶりはすごかった。


ラウンドワンのスポッチャではビーマニとかマリオカートとかカラダ動かしたりしたが、
そこで俺はとんでもない災難に見まわれた。



まずは財布が蒸発。



あれはしゃれにならなかった。
しかし幸いにも友人たちがが金を貸してくれたりして友情を感じ取れたし、
マイカーで来てたんで経費ゼロで帰れたんはよかった。



第二発目な災難は、フリスビーが俺の頭を直撃しとったことであった。
角っちょだったんで結構痛かった。



そして3発目は、
バッティング中にマシーンのボールが、スイングしようとした俺の左手に直撃。
これはフリスビーとは比較にならない凄まじき痛さであった。




その日の俺の運勢の悪さはちっとばかり神がかっていた。
















《 世界フィギュア 》


とにかく高橋が銀だったり、
安藤・真央による金・銀独占があったりと、
日本にとってはとかくウハウハだった、
フィギュア世界選手権。




俺はとにかくフィギュアおたくな母親とともに、
チケットが安かった前日練習から見に行くことにした。

当日はなんと朝6時30分くらいから開始。


なるべくその時間に近くなるよう行こうとしたが、ファミマのチケットサービスが10時からという想定外な出来事もあり、
入場したんは、
日本人女子選手が終わり、最終組なキム・ヨナからだった。


そんでも普段の演技では見られないような大技を練習しちょるとこが印象的だった。



織田信成の、誰も成功してない4回転ルッツを何度も転倒しつつも練習しちょったりしてた。



ただ、
前日がほぼオールだったのでとにかく眠かった。


10回くらいは軽く意識ぶっ飛んでいたと思う。






翌20日。
アイスダンスandペアの演技を見に行った。


この演技はTVよりも明らかに見に行った方がリフトとかスロージャンプは迫力あるんから、
こりゃあリアルに行ってよかった。


ペアの最終的に優勝した申雪・趙宏博組は明らかに他のペアとは違う完成度でサスガだと思った。















《 Kーフリ追いコン 》


20日世界フィギュア見た後、
即座に渋谷直行した。

ちょうど一次会が終わる時だったけど、みんなに会えてよかった。

正式には二次会からの参加だが、
とっくに追い出されたはずな先輩が次々と来てくれてすげぇ盛り上がったし、嬉しかった。


一緒に盛り上げてきた同期や後輩、
そして大変お世話になった先輩達に、
今一度感謝の意を表したい。




二次会途中に終電に間に合わせるように帰るようにした。
しかしなんと逆方向の電車に乗ってしまうという、
得意のドジ炸裂なために再びタクって渋谷に戻り、
みんなとカラオケオールしたのだった。















《 上野・アキバゲーセン散策 》

Kーフリ追いコンオールから数時間後、
マジでガン寝しそうな状態で、
MESSIAHと命名した、
高校時代の友人と久しぶりに会って、
例のごとく上野界隈で遊んだ。


メインは明らかにゲーセン巡りだった。
しかもビーマニ弐寺探しw

これがなかなか置いてなかったもんだった。


仕方なく途中でポップン3人かかりでやったりしていたりもした。

しばらく歩いて、
アキバまで来てようやく見つかった。


10軒以上は探したと思う。

やっぱりビーマニはよかった。
頭の運動になるし、ちょいとはリズミカルになれるしw



それからは、
俺はやはりオール明けでマジ眠かったんで、
お先に夕方前には帰ることにした。


それにしても、
高校時代の友人は相も変わらず濃い奴ばっかだ…w

なにしろ
話題は、



ニーチェ・FF・ドラクエ



だから…(笑)






< さいごに・・・>



これから俺は新生活を迎えるわけだが、

みんなも今後ともこの俺を宜しくとともに、

ともに刺激しあって一人前に成長できるよう頑張ろうぜ!!




卒業。

ここ数日、

またもやブログの更新が止まってしまった。



旧友との再会・台湾旅行・卒業式など、

俺としてみればここ数日は大忙しであったからだ。



ブログを書くネタは抱負にある。

しかし、

本日記ではやはり昨日行われた卒業について記したい。




とうとう幼稚園から含めて、
18年の学生生活が昨日をもって幕を閉じてしまった。







昨日の卒業式と園遊会を通じて改めて認識した。




『みんな最高だ!!』



と。

大学時代、

俺は新歓の段階で、
観光事業研究会K-FLIPSと、
模擬国連入る決意をして、
卒業するまで両サークルのメンバーで居続けた。



K-FLIPSはとかく旅行を楽しもうというサークルであった。

俺らん代では留学生もいて帰国生が多く入っていたので、
いろんな価値観の人たちと出会えたし、
数多な旅行・飲み会・そして俺が先頭になって成し遂げた学園祭出展など、
ここではホントに大学生らしい思い出を作ることができた。



模擬国連では数多の大学との交流が盛んにできた。

一人が1国の大使役として、
その国の主張を全体に反映させるために、
また、公式文章のたった一フレーズのみをめぐって
オールに及んだ交渉・説得を何度も経験してきたし、
外交の奥の深さ、
企画として自ずと硬派な方角へ行ってしまいがちなサークルをいかに軟らかくするかを実践して、
KーFLIPSとはまた一味違った思い出を作れた。




またサークル以外にも、
大学の授業やイベント等々で出会った人も数多いる。
その人たちからも俺はいろんな影響を受けたし、
友人の幅も飛躍的に広がった。





この4年間、
俺にかけがえのない思い出を提供してくれた、
友人全員に、


『  あ り が と う  』


という詞を伝えたい。



大学生活を通じて出来た友人・知人は、
みな各々の個性に溢れていて、
俺にとって大きな刺激となった。

そんな、
友人・知人に対する出会いの場を提供してくれた、
大学に対する感謝は、
もはや言の葉では言い尽くせない。





俺は、
みんなより一足早く、
来週の月曜日にはもう社会人となる。

この友人との夢のような日々で共有した、
喜怒哀楽を糧に、
今後も俺にとっての『事』を探していきたい。


そして、
その個性溢れ、
素晴らしい魅力に満ちた友人たちとも、
今後学生の身分ではなくなっていても、
積極的に付き合ったりして、
またお互いに刺激しあったりしていきたい。







最後に友人へのメッセージをもって本稿を締めさせていただく。



『これは出会いの序章にすぎない。これからも喜怒哀楽をともにして、夢・志の実現に向けて協力しあおうぜ!!』

○○島旅行 ~後編~

えびの高原を出発した、ひよけん9期生の面々。



樹氷をまとった木々に、
霧島山の湖や荒々しい火山、
桜島・錦江湾はもちろんのこと、
遠くは宮崎・熊本県まで、
南九州一望できる眺望もあって、
一同はそろってテンションは高めであった。


しかし、
頂上が近づくにつれて、
木々も無くなり、
一同は次第に盗人のようなフードやタオルをまとった格好をするようになって、
強烈な冷風が吹き荒れると、
次第にテンションも下がってきた。


俺も、
ホワイトソックスのキャップが吹きとんだりすることもあった。
しかし、無事に戻ってきて、
なんとか事なきを得た。



次第に厳しくなってくる環境に悪戦苦闘しつつも、
登山1時間30分後くらいに、
韓国岳の頂上に辿り着いた。



もう言葉に出来ないほどの素晴らしい景色であった。



一同は写真取り捲り。


しかも、
太古の昔に噴火したと思われる穴にはでっかく、




『好ミキ♥』




と記されていたことに一同
「すげぇ!!!」
のオンパレード。


旧噴火口に行って、
超でかい字で(石を集めて)この字を書いた人の、
『ミキ』に対する愛への深さを感じずにはいられなかった。










こうしているうちに寒さも限界をきたすようになり、
『KOREAN MOUNTAIN』
を降り始めた。

その道は、
ぬかるみや段差がちょいエグかったが、
無事に次の目的地の山に到達した。




しかし、
そのときすでに午後5時30分。

そこから一般道路のあるところに合流するには、
地図曰く1時間30分かかる。


間違いなく真っ暗になる。


一同はややあせってタクシー会社や唯一宿に残っていた人に
連絡しようとするも電波がままならない。

多少急ぎ目に下山を開始した。




この『1時間30分』が、
全く参考にならない数字だということが、
歩くにつれて次第に証明されるようになるのである!



あっという間に日は落ち、
一面は真っ暗になった。
しかも、
真っ暗の中を川渡りしなければいけない場面にもいくつか出くわし、
一同は次第に不安を抱くようになっていった。



ケータイは通じない・捻挫した人続出・一向に明かりが見えない……


しかし、
それでも俺はそんなに心配していなかった。
なぜなら、


道は合っているし、
プラネタリウムのようなオリオン座を軸にした素晴らしい星空に、素晴らしい仲間たちがついていたからだ!



ひたすらひたすら歩き続けた。
素晴らしい先導もあった。
みんなのことを思う一同の強い気持ちがあった。


その結果、
午後8時30分過ぎ、
タクシーの明かりが見えたのだ!!


所要1時間30分のはずの道が、
3時間も費やしてしまっていたが、
無事に到着。


泣き出す人もいた。


タクシーの人は、
すんげえ心配してくれて119番通報までしていたのだった。
大目玉もくらったりしてたけど、
そこは情もハートも熱い、
薩摩隼人だ。

始めて会った俺たちをココロから心配してくれていた。







こうして冷え切ったカラダで、
宿に到着。

温泉・メシにありつけたのだった・・・。


その後は、
ただひたすら色紙の執筆でこの日は終了した。





ちなみに、
翌日警察の聴取があり、
「遭難」扱いされていたのであった…。











最終日。

この日は、
霧島まったり観光になった。

俺は霧島神宮方面を観光することにした。




女子6人に男は俺1人。

完全なハーレム状態な中での霧島神宮観光であった。

西郷従道・樺山資紀・税所篤
など明治の薩摩出身の元勲の名前が載っている石灯篭を見ながら、

『君が代』の歌詞に載っている正真正銘の、
『さざれ石』を見て感銘を覚えつつも、
本殿でおまいりをした。


その後は、
好例のおみくじ。
俺は先陣を切って引いた。


『大吉』


であった。
しかし書いてあることがビミョーだった。


要約すると、
『今は待て。だけど直に良くなる。』

俺は唖然とした。


女子一同は、
恋愛みくじなどを引いて、
大吉・中吉・吉・末吉と各々ばらばらな結果になった。

しかし、
大吉をひいた、みくじのコメントはすごかった。


『今年中に結婚する』。



一同閉口した…w





郷土料理を食した後には、
俺は単独で風呂へ。

誰もいない、浴室独占状態だったので、
思う存分くつろぐことができた。



かるかん饅頭を買って、
再び丸尾に戻ると、
滝ですぐ近くまで行き、
温泉まじりの水に驚きながらも癒された後に、
霧島を出発して空港へと戻ったのであった。










結局屋久島には行けずじまいになり、
せっかく作ってくれた、
卒業旅行BGが役に立たず、
鹿児島の、
『天気晴朗なれども波高し』
な天候に、
俺たちは無制限に振り回された結果、
実にハプニング続きで、
予定通りにいったイベントが何一つ無い、
めっちゃ珍妙な旅行になってしまったが、
最後にGJなハプニングがあった。




ひよけん9期生で、
かつて山梨から遠路はるばる日吉に来ていた人が来てくれたのだ!!



なんと彼は現在鹿児島で働いているとのこと。
車で駆けつけてくれたのだった。

時間こそ無かったが、
話をすることが出来て、
みんなスマイルで鹿児島を飛び立つことが出来、



こうして、
ハッピーエンディングでひよけん卒業旅行を締めくくれたのであった。


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